2、開園以降のおもなできごと
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●92年11月 |
公園作りを通して結婚することになったカップルが、くさっぱら公園で結婚披露パーティー。 |
●93年2月 |
「今月のくさっぱら」創刊 |
●93年4月 |
初代「池」建設。穴を掘ってビニールシートを張ったものだったが、まもなく穴をあけられ、その後、埋められた |
●94年3月 |
世田谷区西経堂団地の建て替えにともなって伐採された、大量の丸太をくさっぱら公園に搬入。これを使って木工をしようというグループ「のこぎり組」発足。 |
●95年3月 |
公園前の三叉路に「きらら舗装」。懸案だった交通安全対策が、ようやくひとつ具体化された。 |
●96年2月 |
トイレの屋根の上に「池」を作る。廃材の枠にビニールシートを張ったもの。ホテイアオイやメダカなどをいれた。これは2002年現在もトイレの屋根の上にあるが、水は涸れている。 |
●96年6月 |
防火貯水槽埋設工事。この工事にともなって、「山土」が入れられ、草が生えにくい土質が改善されるはずだったが、実際に入ったのは「山砂」だったらしい。土質は悪化し、今も完全に回復したとは言えない。 |
●97年 |
隣接する旧前田邸にマンションが建設されることになり、敷地内の樹木がほとんど伐採されることになった。くさっぱら公園の景観の一部でもあったこれらの樹木を、少しでも残せないかと、「今月のくさっぱら」を通して、案を募るとともに、建設業者、公園課との話し合いを重ねた。
公園との境界に生えている、ケヤキの大木を含む何本かの木は、擁壁に根がからんでおり、木を残して擁壁を改修することはまず無理。その大きさと建設のスケジュールから移植もほとんど不可能。マンションの擁壁を公園側にせり出して作る、という案は有力だったが、民間の建造物を公園の敷地内に建てることはできない。
八方ふさがりの事態は、しかし、意外なアイデアで解決された。公園内に擁壁を作ることはできないが、土盛りをすることはできる。古い擁壁を埋め込む形で大量の盛り土をし、マンションの重量を支える、という案である。現在のくさっぱら公園の左手奥の、築山のような斜面はこうして作られた。これによって残すことができた木は、全体から見ればわずかなものだったが、新しい建物が建つたびに、大量の樹木が伐採されるという流れに、一石を投じた意義は大きい。 |
●01年7月
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「公園で花火をしようとしているみなさんへ」の看板設置。隣接するある民家では、毎年公園での花火に悩まされている。この前年はとくに被害が深刻だった。禁止事項の看板は立てないというのが開園以来のくさっぱら公園の方針のひとつだったが、この年、「禁止」ではなく、近隣への配慮をうったえる内容で、大看板を設置した。予想に反して効果はあったようで、この年の夏は花火の燃えがらはほとんど見かけなかった。 |
●01年冬
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2002年春から施行される「公園の自主管理制度」をめぐって、公園課と数度の協議。 |
●02年春 |
「公園の自主管理制度」が「ふれあいパーク活動」と名前をあらため、正式にスタートした。ひろばの会はこのシステムには不参加。くさっぱらは従来通りの形で運営されることになった。 |
●11月 |
くさっぱらのたった一本の桜の木に大きなうろがあり、このままだと倒れるおそれがあることがわかった。泣く泣く伐採。来年からお花見はどうすればいいのか。 |