くさっぱら公園の年表

これまでのおもなできごとを年表にまとめました

1、開園まで

●91年5月  千鳥1-1の民家が取り壊され、公園予定地となった。近くに住む女性がその立て札を見て、公園課に電話した。公園課の担当者の話は次のようなものだった。
「私も個人的にはプレーパーク*のような公園は やってみたい。しかし、それは行政から『やりましょう』といってできるものではない。地域の運動があって、長い時間をかけてだんだんにできていくものだと思う。区としては、公園作りには地域の声を取り入れていきたいので、要望があればどんどん言ってください。」
これに勇気づけられて、彼女はその日のうちに、電話で10人ほどの人を集め、「みんなでつくろうひろばの会」が結成された。
●6月  公園予定地に入って遊べるという、おそらく、区としては異例の措置がとられ、以後、同年11月の着工までの間、さまざまなイベントがこの予定地で行われる。ただ穴を掘るだけという「穴掘り会」、七夕祭り、草刈りなど。
●7月  24ページにおよぶ企画書を公園課に提出。この企画書に盛り込まれた、
「身近な自然の回復」
「禁止のない、自由な遊びの空間」
「手を加え、変えていける公園」
といった理念は、現在も受け継がれている。
●8月 設計検討会。公園課の基本案には、ひろばの会の企画案が相当部分取り入れられていた。公園課は、
「区の公園は、数としてはある程度の量が確保できた。これからは特色のある公園を作っていきたい。」という姿勢を表明した。
●10月 第一回「はらっぱ ひろっぱ くさっぱらまつり」
●11月

着工。

 以後、翌年4月の開園までの間、管理運営について、東調布公園管理事務所と数回にわたって話し合う。問題になったのは清掃である。
「利用したときに、そのつど清掃する」というひろばの会と、
「清掃は定期で」という管理事務所の方針はなかなか折り合いがつかなかった。
「1〜2ヶ月の間、定期的に清掃してみて、その結果を見て検討する」ということでようやく合意した。実際のところは、ひろばの会が想像していたほど清掃は負担ではなく、現在に至るまでほぼ、週に一回のペースで清掃が行われている。
 このときに、月一回のペースで運営会議を持つことも決められた。

●92年4月 開園。オープニングイベントは、アルペンホルンの演奏、フリーマーケット、こども相撲大会などで賑わった。
 

★プレーパーク
小屋作り、たき火、泥遊びなど、通常の公園ではできない遊びを可能にするために作られた野外施設。プレーリーダーと呼ばれる人が、子どもの援助、安全確保にあたることが多い。世田谷区羽根木公園内の「羽根木プレーパーク」が著名。

企画書の一部

 
子ども相撲大会

2、開園以降のおもなできごと

●92年11月 公園作りを通して結婚することになったカップルが、くさっぱら公園で結婚披露パーティー。
●93年2月 「今月のくさっぱら」創刊
●93年4月  初代「池」建設。穴を掘ってビニールシートを張ったものだったが、まもなく穴をあけられ、その後、埋められた
●94年3月  世田谷区西経堂団地の建て替えにともなって伐採された、大量の丸太をくさっぱら公園に搬入。これを使って木工をしようというグループ「のこぎり組」発足。
●95年3月  公園前の三叉路に「きらら舗装」。懸案だった交通安全対策が、ようやくひとつ具体化された。
●96年2月  トイレの屋根の上に「池」を作る。廃材の枠にビニールシートを張ったもの。ホテイアオイやメダカなどをいれた。これは2002年現在もトイレの屋根の上にあるが、水は涸れている。
●96年6月  防火貯水槽埋設工事。この工事にともなって、「山土」が入れられ、草が生えにくい土質が改善されるはずだったが、実際に入ったのは「山砂」だったらしい。土質は悪化し、今も完全に回復したとは言えない。
●97年  隣接する旧前田邸にマンションが建設されることになり、敷地内の樹木がほとんど伐採されることになった。くさっぱら公園の景観の一部でもあったこれらの樹木を、少しでも残せないかと、「今月のくさっぱら」を通して、案を募るとともに、建設業者、公園課との話し合いを重ねた。
 公園との境界に生えている、ケヤキの大木を含む何本かの木は、擁壁に根がからんでおり、木を残して擁壁を改修することはまず無理。その大きさと建設のスケジュールから移植もほとんど不可能。マンションの擁壁を公園側にせり出して作る、という案は有力だったが、民間の建造物を公園の敷地内に建てることはできない。
 八方ふさがりの事態は、しかし、意外なアイデアで解決された。公園内に擁壁を作ることはできないが、土盛りをすることはできる。古い擁壁を埋め込む形で大量の盛り土をし、マンションの重量を支える、という案である。現在のくさっぱら公園の左手奥の、築山のような斜面はこうして作られた。これによって残すことができた木は、全体から見ればわずかなものだったが、新しい建物が建つたびに、大量の樹木が伐採されるという流れに、一石を投じた意義は大きい。
●01年7月  「公園で花火をしようとしているみなさんへ」の看板設置。隣接するある民家では、毎年公園での花火に悩まされている。この前年はとくに被害が深刻だった。禁止事項の看板は立てないというのが開園以来のくさっぱら公園の方針のひとつだったが、この年、「禁止」ではなく、近隣への配慮をうったえる内容で、大看板を設置した。予想に反して効果はあったようで、この年の夏は花火の燃えがらはほとんど見かけなかった。
●01年冬 2002年春から施行される「公園の自主管理制度」をめぐって、公園課と数度の協議。
●02年春 「公園の自主管理制度」が「ふれあいパーク活動」と名前をあらため、正式にスタートした。ひろばの会はこのシステムには不参加。くさっぱらは従来通りの形で運営されることになった。
●11月 くさっぱらのたった一本の桜の木に大きなうろがあり、このままだと倒れるおそれがあることがわかった。泣く泣く伐採。来年からお花見はどうすればいいのか。
公園での結婚披露宴
トイレの上の池

木を残すためにこのように盛り土をした。